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2008年2月29日 (金)

自分の目の前で人が死んでいくのを見た事はありますか?

2月6日の午後8時、父貞行は私達家族が見守る中で息を引き取りました。

2年ほど前から血痰が出るようになり、検査をしても原因が分かりませんでした。

だんだんと血痰の量が多くなっていき、昨年4月に肺ガンが発見された時には、すでに右肺には大きな穴が開いていました。

そして昨年6月の私が一般質問を行った日に、右肺の半分を切除する手術をした事は以前の日記にも書きました。

最初の頃は、毎日、病院に行っていましたが、少しずつ少しずつ色々な理由で行かなくなりました。

術後は、お腹に水が溜まり再入院。

そして、11月には血痰が再び出るようになって呼吸がしにくいために、再び入院する事になりました。

そして11月29日の朝、父の携帯から私の携帯に直接電話がかかってきました。

「昨晩から息が苦しい。もうだめだ。」

といって電話は切れてしまいました。

その直後、病院から電話がかかってきました。

「お父さんの容態がかなり悪いです。今から病院に来る事はできますか?」

その日の午前は、とくに用事もなかったので病院に行くことにしました。

車で病院に向かう途中、父親の

「もうだめだ。」

という言葉が耳から離れませんでした。

運転に集中する事がなかなかできません。

こんな事は始めてです。

もし、この時に父が亡くなっていたら、私は一生、この言葉が耳から離れなかったかもしれません。

病院に着いて、ずっと泊り込みで父の付き添いをしている母と一緒に、医者からの説明を受けました。

「右肺の残っている部分にもガンが転移しています。いつになるかは分かりませんが、今度、これぐらいの大きな発作が起きた時が最後になるかもしれません。」

医者の、この言葉を聞いて、私達家族は覚悟をしていく事にしました。

一旦、市役所に行き、その後病院に戻ると、会社を早退してきた弟と奥さんが居ました。

私は、”長男としてしっかりしよう”、”何が起きても動じないでいよう”と固く心に誓いました。

そして、一旦、回復した父は、正月明けに2度、自宅に戻る事ができました。

この時は、大好きな寿司を食べたり、ニンテンドーDSでマージャンをしたり、とっても元気でした。

そして、私はビールを飲みたがっている父にビールを勧めました。

母親は反対しましたが、ビールを飲む事はもう最後になりそうだと思ったからです。

そして2月5日の朝、病院から電話がかかってきました。

「お父さんの容態が昨晩、急変しました。今から来れますか?」

その日の委員会が始まるまでに、まだ時間があったので、一旦、病院に向かいました。

父は大分落ち着いた様子ではありましたが、その頃、打ち始めたモルヒネのせいか発作のせいなのか、ほとんど話せませんでした。

そして身体がずっと痙攣を起こしています。

仰向けに寝てしまうと、血痰が喉に詰まって息が苦しいので、ずっと座った状態でした。

出しても出しても黒みがかった血痰が出てきます。

といっても自然と喉から出るのではなく、体力が無く、弱った体の力を振り絞って必死になって出すのです。

父はもちろん、その姿を見ている事も辛かったです。

そして一旦、市役所に行き委員会に出席。途中からは新図書館の現地調査に行きました。

新図書館に着いてしばらくすると、会社を早退して病院に着いた弟から携帯に電話がかかってきました。

「医者から説明があるから、委員会が終わりしだい、すぐに病院に来て欲しい。」

私は、あせる気持ちを抑えて、新図書館内の写真を撮ったり、私の姿を職員に写してもらったりしました。

そして病院に着き、医者からの説明がありました。

「お父さんは、今晩から1週間の間までです。話せる時にお父さんと話したり、呼んだ方が良いと思う方に連絡をしてください。」

父は、起きている時は血痰が喉に詰まって苦しそうなので、なるべくなら寝ていて欲しいと、私達は思っていました。

それでも眼が覚めると、血痰を出そうとして苦しそうにします。

そして私達の言葉が理解できる時とできない時があるようでした。

私達は朝まで交代で父の様子を見る事にしました。

6日の朝、私は弟にこんな会話をしました。

私「最近、弟の方がお兄さんですか?って聞かれるよな。」

「選挙の時もそうだったし、昨日の看護士もどっちが長男か分からなかったみたいだし。」

すると、テレビの方をぼーっと向いていた父が笑いました。

いつもの苦しそうな顔ではなく、物凄いニコニコしています。

きっと、私と弟の会話が面白かったのだと思います。

「親父が笑ってる(笑)」

その時は、病室が明るいムードになりました。

そして昼ごろ、父は眠りました。

だんだんとだんだんと呼吸がゆっくりになっていきました。

血痰が気管支に詰まっているので、「ゴロゴロ」と音を立てて呼吸をしていましたが、本当に少しずつゆっくりになっていきました。

夜の7時ごろには、息がだんだんと弱くなっていきました。

本当に気が付かないくらいにゆっくりと息が細く弱くなっていきました。

私達家族は、

”最後の瞬間だけは、苦しまないで欲しい。”

と、口には出しませんでしたが、全員の最後の願いを持っていました。

そして7時40分ごろ、ふと気が付くと父の呼吸は止まっていました。

少しももがく事もなく、自然に息を引き取りました。

そして自宅から向かってきてくれていた医者が8時に病室に入ってきて、

「午後8時2分、お亡くなりになりました。」

と告げられました。

私が「有難うございました。」と医者にお礼を言うと、母や、弟夫婦が同時に泣き始めました。

父は、もうこれ以上苦しまなくてすむと思います。

亡くなる1週間ほど前に、父は母に向かってこういったそうです。

「死にたくないけど、もう一回、タバコが吸いたいなあ。」

棺にはタバコを入れて、葬儀が終わった時にビールを遺体の口に流し込みました。

一度死んだ人間が、再び病気になったり死ぬ事はありません。

向こうで気が済むまで、タバコを吸ってビールを飲んで欲しいと思います。

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