閉会日
昨日は、若松保育園の卒園式に来賓出席しました。
本日は、3月定例議会の閉会日。
私は、第17号から第66号議案までのうち、
第32号議案”岡崎市印鑑登録条例等の一部改正について”
第51号議案”平成24年度岡崎市一般会計予算”
の2議案のみ反対し、
残りの47議案については賛成しました。
まず、第32号議案”岡崎市印鑑登録条例等の一部改正について”ですが、
現在、住民票は、住民基本台帳法という国の法律を根拠に各市で管理されています。
そして、平成24年7月から日本に在留資格を持つ外国人であれば日本人と同じく住民票を作る事ができる様になりました。
これは、平成21年の国会で法律改正が決定したものです。
しかし、大変、大きな問題があります。
この住民票には、本名だけでなく通称も登録できる事が今年の1月に各大臣によって閣議決定されてしまったのです。
通称というのは、日本人の様な名前の事です。
名前を二つも持つ必要は無いと思いますし、マスメディアは事件があった場合に、犯罪を犯した容疑者の本名ではなく通称で報道する事が多いです。
皆さんもよく知っている有名なあの事件の犯人も、日本人ではなくて実は外国人だったりするのです・・・
これでは、外国人が犯罪を犯しているのに、まるで日本人が犯罪を犯したように思ってしまいますよね?
住民票に”通称”も記載する事ができるようになる事を報道したマスメディアはあったのでしょうか・・・
そして、外国人から寄付金を受け取る事を禁止している法律があるのに、民主党の歴代の前原、菅、野田党首らが寄付金を受け取っていましたね。
「日本人だと思っていた。」
という苦しい言い訳もしていましたが、そもそも、通称を使わなければ、外国人を日本人と間違えて寄付金を受け取る事もなくなります。
そして現在まで岡崎市では、”外国人が印鑑登録をする場合には、外国人登録原票に記載のある本名でも通称でもどちらでも良い”
という制度でしたが、
今後は”外国人が印鑑登録をする場合には、住民票に記載のある本名でも通称でもどちらでも良い”
という内容の条例改正の議案が、この3月議会で提案される事になったのです。
結局、制度そのものはほとんど変わらないのですが、しかし、普通に考えて、印鑑は本名であるべきだと思いませんか?
そこで私は、この印鑑登録条例の一部改正議案に反対をしました。
皆さんは、外国人の”通称”についてどうお考えでしょうか。
採決結果は、
反対 大原まさゆき 1名
賛成 37名
となり、賛成多数で可決してしまいました。
そして、第51号議案”平成24年度岡崎市一般会計予算”では、子ども科学館の候補用地として、JR岡崎駅近くの空き用地の利用方法について調査委託する予算が約800万円で計上されています。
私は、以前から約40億円の事業費のかかる子ども科学館構想について反対をしてきました。
何度かブログに書いてますが、子ども達の理科離れを防止するには、まずは、先生方の教え方の向上が重要であり、
わざわざ40億円もかけて科学館を建設する必要は無いと考えます。
その他、観光客誘致事業等々も含めて、平成24年度一般会計に反対としました。
採決結果は、
反対 大原まさゆき 共産党議員(2名) 3名
賛成 35名
となり、賛成多数で可決してしまいました。
議案に対するそれぞれの会派の賛否をまとめると以下の通りです。
自民清風会 49議案 全て賛成
ゆうあい21 49議案 全て賛成
公明党 49議案 全て賛成
日本一愛知の会 49議案 全て賛成
自民絆の会 49議案 全て賛成
共産党岡崎市議団 第22号、23号、29号、31号、35号、36号、38号、41号、47号、51号、52号、55号、56号、57号、65号、66号議案に反対
上記以外の34議案に賛成
大原まさゆき 第32号、51号議案に反対
上記以外の47議案に賛成
市議会だよりには、私を含む4名の無所属議員の賛否が掲載されないので、このブログを通して、市民の皆様に知ってもらえたらと思います。
ちなみに、印鑑登録条例の一部改正議案については、賛成した人の中に、内心は反対したかった議員がいる様です。
ところで、アメリカの政治学者でありジャーナリストでもあったリップマンが1922年に書いた”世論”を読み終え、とても勉強になりました。
内容は、例えば、
・文明の発達が物や音や光があふれる喧騒を作りだし、その結果、鈍くなってしまった思考力で、新聞を読みニュースを見て、政治に関する重大な選択をしてしまっている。
・人間は、情報に接する際には、そこから拾い出せる事柄は、自分が認識できるものだけである。
・現代人は忙しいため、あらゆる物事を詳細にわたって新鮮な目で見る事はなく、その人自身が持っている先入観で型枠にはめてしまう。
・事実であるにしろ、事実で無いにしろ、人間は自分の思い込みが否定されてしまうような情報は、自尊心が傷つくために認めない傾向がある。
・文明の進歩を”発展”と考える習慣は、その影の部分を見えなくしてしまい、都市の人口過剰、スラム街の拡大、失業者問題、自然破壊などに目を向けなくなってしまう。
・人間は、「問題」には裏・表がある事は知っているが、一旦、「事実」と思いこんだ事には表しかないと決めつけてしまう。
・人間は、将来はなんとかなると楽観的になってしまう。
・「事実」と「ニュース」は違うものである。「ニュース」は一般大衆にどの様に考えさせ、どの様に行動させるかという暗示に覆われている。
・「世論」というものは、国民が政治を考える際に重要であるため、本来ならば過去に膨大な文献があるはずだが、見当たらない。「世論」が形成された後に、政治に反映する仕組みについては優れた書物があるが、「世論」がどの様に作られるのかを書いたものはほとんど無い。
・古代から民主主義では、「国民には生まれた時から政治に参加する権利を持っている」という事が研究されてきたし、実際に、権力は、国王→裕福層→全ての成人男性→全ての成人と広がり、選挙というシステムを作りだしてきたが、より良い政治家と判断能力のある有権者を作りだす事は全く研究がされてこなかった。
・民主主義による政治学は、アリストテレス政治学の仮定からいまだに脱していない。
・現代人は、「真実」は暴露され無料で与えられるものと思い込んでしまっている。
・「ニュース」とは、真実では無く単なる合図である。ニュースから、そこに隠されている諸事実に光をあて、相互に関連づけ、人々が考え、行動できる様な現実の姿を描きだすべき。
・マスメディアは、国民が政治を考える上で強い影響力を持つ事を政治学の中で重要視するべき。
・学校教育の段階で、物事を中立の目で評価する訓練をする事が必要。
・人間の偏見を打ち砕く事は自尊心に関わるため苦痛を伴うが、頑固で単純な世界観の破壊に成功した時には、視野が広がり、大きな安堵と快い誇りが与えられる。
等々、一部分、私が言葉を付け加えましたが、以上の事が書いてありました。
最後に、リップマンは政治を良くするには
”一人ひとりの「理性」に訴えるしかない”
と結んでいました。
そして、リップマンは”世論”の中で、
「みんなが言ってるから。」とか、「回りが言ってるから。」とか、「新聞に書いてあったから。」とか短絡的に考えずに、自分の頭で考える必要がある。
たしかに、短絡的思考は、”世の中がどうしたら良くなるのか”という深い悩みからは開放してくれる。
しかし、他人の言葉を鵜呑みにせず、理性を持って行動していく必要がある。
という趣旨の事も書いています。
この”世の中がどうしたら良くなるのか”という問いには、最終的には、
”どうしたら良い候補者が現れるのか”
という問いに行き着くと思います。
私は、「世の中を良くしたい」と考える人が政治家になるべきだと考えます。
もし、このブログを読んでいる方々が、良い候補者を見つけられなかった時には、ぜひ、皆さんが立候補をしてほしいと思います。
そうなった時に、皆さんだったら、どうやって選挙を戦いますか?
当選後は、どんな活動をしていきますか?
一度、想像してみてもらえたらと思います。
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